Lesson 7. FUEの発祥は日本って、ご存知ですか?
植毛術におけるFUEは、現在、世界中で破竹の勢いで拡大しました。
しかし、FUEを語る場合、奥田庄二医師と稲葉益巳医師の貢献を忘れてはなりません。
現在の植毛術は、FUE(Follicular Unit Excision)が主流です。
FUEのことは、ご存じかもしれませんが、ご存知ない方のために、簡単に説明しておきます。
FUEとは、後頭部にある1~3本の頭髪が生えている毛穴を1つ1つくり抜いて、ハゲ(脱毛部)の頭皮に移植することによって、ハゲからふさふさの頭髪に回復させましょうという方法です。
FUEは、術後のダウンタイムが少なくてとても良い方法です。しかし、FUEの発祥は日本であったのをご存じでしょうか?
FUEの原型と呼ばれる手法は、戦前の1939年に奥田庄二医師によって報告されています。
持ち手のある真っ直ぐな金属製円管である“円鋸”と名付けられた器具を用いて移植する毛髪を採取していたようです。そして、その円鋸の直径は1.0mmから5.0mmのものを使用したと記載されています。1.0mmの円鋸を使用していたとすれば、現在のFUEと同じようなことをしていたことになります。
しかし、奥田医師が世界ではじめて植毛術の基礎的な研究を行い、しかもそれを実際に実践して、ほぼ網羅していたにもかかわらず、日の目を見るようになったのは80年程度経過した21世紀を過ぎてからでした。
そして、奥田医師の研究から50年ほど経過した1993年に稲葉益巳医師が1.0~1.5mmの極小パンチを備えたマイクロ移植器具を用いて現代のFUEとほぼ変わらない手法で単一毛を採取する方法を報告しています。
この報告をきっかけに、Dr. Ray WoodsがFUEに傾倒し、世界にこの手法が知られることとなり、2002年にDr. William RassmanとDr. Robert Bernsteinが学術誌Dermatologic Surgeryに”Follicular unit extraction: minimally invasive surgery for hair transplantation(FUE:植毛術における低侵襲手術)”を報告したことによって、爆発的な人気となりました。
では、なぜ、日本発祥のFUEの手法が流行することなく、埋もれてしまったのでしょうか?
これには以下の2つの理由があると思われます。
- 日本においては、個人が行った優秀な研究に対して、興味を持ってリスペクトしないことが原因の1つです(大きな組織のような長いものに巻かれやすい国民性があるのでしょう。この特徴は良い面もあるのですが…)。
- もう1つは、日本人の頭髪は太く、毛穴の密度(FU: Follicular unit)が低く、頭皮も分厚いことに原因があります。つまり、性質的にFUEでダメージのないグラフトを採取することが人種的に難しかったと考えられます。したがって、良好な結果が伴いにくかったと推測されます。
なお、稲葉医師は毛髪を再生する幹細胞が皮脂管近傍にあると推測していたため、グラフトの下部組織が存在しなくても発毛すると解釈していたようです。このようなグラフトを混ぜて移植していたとすれば、良好な移植結果ではなかったと推測できます。したがって、結果が確実ではなかったことも、流行しにくかった原因と思われます。
移植される毛包(毛根組織のこと)は、基本的に切断されてはならず、上部と下部組織の両方とも備えていなければなりません。私の経験と研究から、上部と下部のどちらかが欠けている切断毛は、発毛しても”うぶ毛様の細い毛髪”として発毛し、ほぼすべての切断毛は太い毛髪に戻ってくれないことが明白だからなのです。
(2023年12月 K. Yamamoto記)